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鳥取地方裁判所 昭和41年(行ウ)4号 判決 1968年11月29日

神戸市灘区篠原北町三丁目五四番地

原告

牧野二郎

右訴訟代理人弁護士

和田珍頼

米子市西町

被告

米子税務署長

滝沢満郎

右被告指定代理人

田原広

高木茂

吉富正輝

常本一三

広光喜久蔵

大阪市東区大手前之町

被告

大阪国税局長

佐藤吉男

右被告指定代理人

勝瑞茂喜

下山宣夫

泉隆雄

谷津守

右被告両名指定代理人

村重慶一

山田二郎

大田信雄

内田一

中山喜亘

滝本嶺男

右当事者間の昭和四一年(行ウ)第四号贈与税、加算税賦課処分、裁決取消請求事件につき、当裁判所はつぎのとおり判決する。

主文

一、原告と被告米子税務署長との間で、同被告が原告に対し昭和三九年七月一三日付でなした原告の昭和三七年分贈与税及びこれに対する無申告加算税の課税処分を取消す。

二、原告の被告大阪国税局長に対する訴を却下する。

三、訴訟費用中、原告と被告米子税務署長との間に生じたものはこれを同被告の負担とし、原告と被告大阪国税局長との間に生じたものはこれを原告の負担とする。

事実

第一、双方の申立

(原告)

一、原告と被告米子税務署長との間で、主文第一項同旨。

二、原告と被告大阪国税局長との間で、同被告が昭和四一年七月五日付裁決第五六三、第五六四号でなした原告の昭和三七年分贈与税に関する審査請求を棄却した裁決を取消す。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

(被告大阪国税局長)

本件を大阪地方裁判所に移送する。

主文第二項同旨。

(被告ら)

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、双方の主張

原告

(請求原因)

一、原告は、訴外坂江亀世から別紙目録記載の土地(以下本件土地という)につき、鳥取地方法務局米子支局昭和三七年七月二六日受附第七三七一号をもつて「昭和六年八月八日共有者坂江亀世の持分贈与」を登記原因として、同女の持分移転登記を受けたところ、被告米子税務署長(以下被告署長という)は、これを目して訴外坂江亀世から原告に本件土地に対する右亀世の持分につき昭和三七年七月頃贈与があり、これは贈与税を課すべき事実であるとして、昭和三九年七月一三日、昭和三七年分贈与税三五二、二六〇円、原告が納税申告をしなかつたことを理由に無申告加算税三五、二〇〇円を原告に課する決定をした。

二、しかしながら、前記持分移転登記はつぎのような事情によつてなされたものであり、訴外亀世より原告に対し本件土地に対する二分の一の持分につき贈与があつたわけではないから、被告署長のなした前記贈与税等を課する処分は違法である。

すなわち、本件土地はもと原告の先々代訴外牧野正五郎の所有であつたが、事情があつて訴外稲田松太郎の所有となつていたものを、明治三九年六月三〇日、売買の名目で再び正五郎に所有権を請け戻し、明治四一年二月一〇日、その登記をなすに当り、右正五郎の素行、性格に懸念されるところがあり、本件土地の所有名義を同人の単独名義にしておいたのでは何時これを他に処分し、浪費してしまうかも知れない危険があつたので、ここに親族等協議の結果、正五郎が本件土地を単独で処分し得ないようにする方策として、正五郎の妻訴外牧野てん(坂江家から牧野家へ嫁した)のおばであり、重縁の間柄にある訴外坂江りき(りきは牧野家から坂江家へ嫁したもの)を登記簿上の共有名義人とする形式をとつたが、勿論りきは本件土地の所有権乃至持分の取得に関して何の負担もしたことはなく、これらの処置は右正五郎の自由処分を防ぐために、登記形式上共有を仮装したにすぎないものである。

三、以上の次第であつたが、原告が長ずるに及び、いつまでも本件土地について真実に副わない登記を放置しておくことは好ましくないと考えられ、登記の記載を真実に合致させるべく、原告ら関係者は昭和三七年七月二六日(昭和六年四月一二日に訴外坂江りきが死亡しているため、登記申請の技術上、一旦、同日付で、りきの相続人である訴外亀世がりきの持分を相続した形式の登記をなした上)、前記のとおり亀世から原告に持分の移転登記をなし、もつて真実の権利関係に副うよう登記を是正したにすぎない。

従つて、被告署長が贈与税を課すべき「贈与」の事実が昭和三七年中にあつたとしてなした前記課税処分は違法である。

四、1 そこで、原告は被告署長に対し、被告署長のなした右課税処分の違法を理由に、昭和三九年八月一二日に右課税処分に対する異議申立をしたところ、被告署長は、同年一一月一〇日右異議を棄却した。

2 ついで原告は昭和三九年一二月一〇日被告大阪国税局長(以不被告局長という)に対し審査請求をしたが、被告局長は昭和四一年七月五日付裁決第五六三、第五六四号で「(1)坂江りきを共有者の一人として所有名義が登記された登記原因は「売買」であるが、右りきの持分が原告に帰属した実際の年月日を証するに足りる物的証拠がない。(2)余りにも長い間名義借りの状態が放置してあつたこと等から勘案して、前記第二、第三項主張と同旨の審査請求の事由は認められない。(3)而して無申告であるから無申告加算税の賦課は当然である」との理由で、原告の審査請求を棄却する旨の裁決をなした。

3 右裁決の謄本は昭和四一年七月二二日原告に送達され、原告は同日右裁決を知つた。

4 被告局長は特に行政不服審査法第二七条によつて、国及び請求人のために真実を明らかにするため、参考人の取調べ等の手段を尽すべき職責を有するにかかわらず(しかも右関係者間の親族関係は戸籍上明らかであり、りきが前記持分によつて原告家その他から収入を得たという事実も全然ないことは明瞭であるのに)、漫然物的証拠がない等の理由で、右職責にそむき本件の事情と経過(真相)を調査しなかつたことは違法であり、従つて原告の審査請求棄却の裁決も違法なものである。

被告大阪国税局長

(本案前の主張)

一、原告の被告局長に対する請求は、同被告のした裁決の取消を求めることにあるところ、行政庁を被告とする取消訴訟はその行政庁の所在地の裁判所の管轄に属するものであつて、本件被告局長の所在地は大阪市であるから、右請求は鳥取地方裁判所の管轄に属せず、右被告の所在地を管轄する大阪地方裁判所に移送されるべきである。

二、原告の被告局長に対する請求は、被告署長のなした原処分の違法を理由として裁決の取消を求めるものであるが、被告局長は原処分と同じ理由で原処分を維持し、右裁決をなしたものであるから、右請求は行政事件訴訟法第一〇条第二項に違反し、主張自体失当というべきである。

被告両名

(請求原因に対する答弁)

一、請求原因事実第一項は認める。

二、同上第二、第三項は不知。

三、同上第四項の1、2は認める。その余は否認。

被告米子税務署長

(主張)

原告に対する本件課税処分は適法である。すなわち、原告は昭和三七年七月頃本件持分の贈与を受けたものであるから、本件贈与税及びこれの無申告に基づく無申告加算税を原告に課する被告署長の決定は適法である。

このことはつぎの各点からみても明らかである。

1  原告は請求の原因第二、第三項において、本件土地の登記簿上の記載(取得原因、売買または贈与)にかかわらず、坂江りきが単に名義を貸したり、または、原告が所有名義の回復を受けたにすぎないと主張するが、かかる事実を認めるに足る証拠はない。なお、牧野正五郎は、昭和二七年一月一四日死亡していて、その頃、同人が本件土地を自由に処分することを抱束すべき事由が既に消滅したにもかかわらず、その後一〇年余りの間にわたり、原告への名義変更登記のなされていない事実は原告の右主張の真実でないことを裏付けるものである。むしろ本件土地は、当初、稲田松太郎がこれを所有していたものであり、同人から牧野正五郎の養父訴外豊次郎(明治四〇年六月二一日死亡、買受当時は生存中)が売買によりその所有権を取得し、正五郎と坂江りき(豊次郎の兄弟姉妹はりき一人であつた)に遺産分割をするために、本件土地を右両人の共有名義にしたものと考えられる。

2  また、本件課税の端緒となつた本件土地共有持分移転登記のための登記申請書には、登記原因は「坂江亀世の持分贈与」なる旨が明記されてあること、原告が被告署長に提出した本件課税処分に対する昭和三九年八月一二日付の「異議申立書」には、本件土地は坂江亀世との共有であつたが、昭和六年八月八日付で原告が持分を受贈したにもかかわらず、昭和三七年七月二六日受贈したとして、本件課税処分を受けたことは承服できない旨が記載されてあること、さらに坂江亀世が昭和三九年三月一五日付で被告署長に提出した「贈与等に関する明細書(昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法第五条の二第三項、同法施行規則第二条の二)」にも、亀世が、昭和三七年七月二六日本件土地の持分を原告に贈与した旨が明記されており、これら書面の記載からみても原告が、本件土地の贈与を受けたものであることが明らかである。

被告大阪国税局長

(主張)

原告は裁決の違法事由として、被告局長が本件裁決をなす際に、十分調査していない違法があると主張するが、右裁決に当つて、大阪国税局協議団神戸支部所属の協議官は原告に面接したり、坂江亀世及び原処分庁である被告署長に照会したりして、十分に調査を行つているから、右主張は失当である。

第三、証拠

(原告)

甲第一号証の一、二、第二号証乃至第九号証を提出し、証人坂江亀世、牧野貞子、長野敬道の各証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙第五号証中原告作成部分の成立は否認、その余の部分は成立を認める(原告は当初同号証全部の成立を認めたが後に前記のとおり認否を変更した。被告らは右変更に異議を申立てた)、その余の乙号証の成立は全部認める(乙第三号証については原本の存在も認める)と述べた。

(被告両名)

乙第一乃至第五号証、第六号証の一乃至三、第七乃至第九号証を提出し、証人古林津直男、森内栄一(但し、被告局長のみの申請)の各証言を援用し、甲第一号証の一、二中郵便官署作成部分及びその余の甲号証の成立を、それぞれ認める(甲第八、第九号証については原本の存在も認める)と述べた。

理由

一、まず、原告の被告署長に対する請求について考えてみるに、請求の原因第一項及び第四項1、2の事実は当事者間に争がなく、原告が被告局長の前記裁決を早くとも昭和四一年七月二二日頃、知るに至つたことは弁論の全趣旨によつて認められ、これに反する証拠はなく、本件記録によれば本件訴訟が当裁判所に提起されたのは昭和四一年一〇月二一日であることが明らかである。そうして成立に争のない甲第二乃至第七号証(なお、甲第六号証は乙第一号証と、甲第七号証は乙第二号証とそれぞれ同旨)、証人坂江亀世、同牧野貞子、同長野敬道の各証言によるとつぎのとおり認めることができる。

本件土地はもと原告先々々代訴外豊次郎の所有で、一時、訴外稲田松太郎の所有となつていたが、同人から原告先々代訴外正五郎に右所有権を移転するに際して右正五郎(右豊次郎の養子で、豊次郎の長女訴外てんの夫)が、その頃、商売を転々と変え、飲酒に耽る等してその身持ちが定まらなかつたため、本件土地を同人の単独所有名義にすれば、或いは、同人がこれを擅に処分するようなことがあるかもしれないと案じられ、同人を廻る親せき一同が相談の上、正五郎の自由な処分を封ずる方策として、右豊次郎の妹で牧野家から坂江家へ縁付いた訴外坂江りき(前記てんのおば)の名義を借り、本件土地を登記簿上右正五郎と右りきの共有名義とすることとし、りきの承認を得てその旨の登記をした(勿論りきにおいて何等の金銭的支出をしなかつた)。しかしながら、本件土地は実体上は、依然、正五郎の単独所有であつて、同人がその地上に建物を所有してこれに居住し、同人死亡後は同人の長女訴外貞子がこれに居住し、一部を他に賃貸しているところ、右坂江りき及びその子らは本件土地に関しては、正五郎をはじめその家族より、格別、地代その他の名目で金品を受取つたこともなく、本件土地についての公租公課を負担したこともなかつた。前記のような事情から、右りきは、いずれ、本件土地の自己所有名義を右正五郎の長男の名義にでもなすべきものと考えていたが、右正五郎の側において右登記手続に伴う出費を避けてそのまま日時を経過するうち、右りきは昭和六年に、また右正五郎の長男訴外由正も昭和一三年に、右正五郎も昭和二七年に、それぞれ死亡し、漸く、昭和三七年頃に至つて、かねて前記事情を伝えきいていた右由正の子である原告が(当時正五郎の子孫としては原告の外に前記貞子と右正五郎の三男省三の子訴外博がいたが、同人らは本件土地についての権利を放棄していた)、本件土地について登記簿の記載を真実の権利状態に副うよう訂正する旨を、原告と同じようにかねて前記事情を前記りきからきかされて善処方を依頼されていた遠縁に当る訴外長野敬道に依頼した。そこで、右長野は右りきの子訴外亀世(同人も母親りきから本件不動産についての前記事情をきき知つていた)の協力を得てりきの名義上の持分についての所有名義を原告に変更することを考え、一旦、右亀世が本件土地についてりきの前記持分を相続する旨の登記を経由した上、亀世から原告にこれの名義を贈与の形式で移転することにし、その日時については、かねて自ら前記りきから事情をきかされ、その名義返還についての手続の相談を受けた日時のことも考え合せ、これを昭和六年八月八日となし、本件土地について、原告のために右正五郎の持分の相続(昭和二七年一月一四日)、亀世の持分(同人のために昭和六年四月一二日相続による持分移転登記)の贈与(昭和六年八月八日)を原因として、各登記申請手続をとり、昭和三七年七月二六日付でその旨の登記がなされるに至つた。

以上のとおり認められる。

二、ところで乙第五号証中原告作成部分の成立については、当初、原告においてこれを認めながら、後に、右自白を撤回してこれを否認するに至つたのであるが、右書面末尾に原告の記名と原告名義の捺印が見受けられるところ、証人長野敬道、同古林津直男の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、右書面中原告及び坂江亀世の記名欄以外の各記載事項は米子税務署員において記載したものであること、原告の右記名と原告名義の捺印については原告及び原告のために本件土地について所有名義変更登記手続、本件課税処分に関する不服申立手続一切を委任されていた長野もこれを知らないことが認められるので、これら認定事実に徴し、原告が当初なした前記自白は真実に反し、錯誤によるものと推定することができるので、右自白の撤回を認めるべく、しかるときは、他に乙第五号証中原告作成部分の成立を認め得る資料はないから右乙第五号証はその記載内容にかかわらず前項認定の反証とすることができない。つぎに成立に争のない乙第四号証によれば、原告が、昭和三九年八月一二日、被告署長に対してなした異議申立の理由とするところは、原告が本件土地について亀世からその持分の贈与を受けた日時が「昭和六年八月八日」であるにもかかわらず、これを「昭和三七年七月二六日」であると認定されたことにあることが認められ、右認定によるときは原告において、本件土地について日時の点はともかく贈与を受けたとの点においては、格別、不服がないもののように考えられるが、証人長野敬道の証言によれば、前記認定経緯のようにもともと正五郎の、ひいては原告の単独所有であるべき本件土地について登記名義上だけの共有者の持分を、正五郎、または、原告に移転登記するについて登記原因として「贈与」なる表現を使用したので、右異議申立においても右「贈与」なる表現をそのまま使用し、しかも右移転の時期認定についても不服ある旨を申立てたものであることが認められるので、右乙第四号証は前項認定を覆すに足るものでない。また、本件土地については前項認定のような共有名義の登記手続がなされたにもかかわらず、成立に争のない乙第七、第八号証によれば本件土地の上に建築された建物については、明治四一年二月一五日付で正五郎の単独所有名義で保存登記のなされていることが認められるが、右認定事実は必ずしも前項認定事実を覆すに足るものでない。他に前項認定事実に反する証拠は存しない。

三、一方、本件課税処分及び異議棄却の決定のなされた経緯について考えるに、成立に争のない甲第八号証及び証人古林津直男の証言によれば、米子税務署において本件土地についてその登記を調査した結果、訴外坂江亀世より原告に対し持分移転登記がなされている(この点は当事者間に争がない)ことが判明したので、さらに事実調査のため原告の来署を求めたところ、昭和三八年三月頃、原告に代つて前記長野が来署の上右持分移転が昭和三七年の贈与ではない旨を述べたので、同署係官が、さらに原告に面接しようとしたが原告に会うことができず、再び右長野を訪ね、登記原因の日付につき事実調査をしたが、その際、長野も本件土地についての持分移転は贈与ではないとは積極的に説明しなかつたが、なお、本件土地につき原告先々代の頃より共有となつていた事情について説明した上、右贈与の時期が右登記原因発生日である昭和六年八月八日であると主張したが、右主張日時についてはこれを裏付けるに足る書証もなく、他に十分な裏付資料を得られなかつたので、結局、右係官が本件土地については、右持分移転登記のなされた、昭和三七年七月二六日に贈与があつたものと認定せざるを得ないとなし、この調査結果に基づいて被告署長が本件課税処分をなしたものであること、その後、原告より被告署長に対し右課税処分につき前記のとおり異議の申立がなされ、つづいて、昭和三九年一一月九日に、本訴請求の原因第二、第三項主張の事実が右異議の事由として追加されたが、被告署長は、同月一〇日、前記のとおり右異議申立を棄却したことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。右認定事実によれば、本件土地につき亀世の持分が原告に贈与された旨の登記に基づいて課税処分がなされたことに対し、長野が原告に代つて、右贈与登記にかかわらず課税の対象となるものでない事由を説明するに当り、右持分移転の時期を争い、贈与の実体については争がないかのような印象を与えたため、米子税務署係官においても専ら右贈与の時期について調査の重点を置き、右の点について原告の主張するような時期における贈与を裏付ける資料が見付からなかつたので、結局、登記の記載どおりの事実を前提として前記課税処分に及び、原告のこれに対する異議申立についても、その追加された事由については別段調査するまでもなく、従前の調査の結果によつて右異議申立を棄却したものとみることができるところ、これらの経緯に徴しても、本件課税処分を適法ならしめる本件課税要件の存在を確認し得ず、他にこれを認め得る証拠はない。

四、右の次第で、本件にあつては、被告署長主張の課税要件、すなわち原告に対する本件持分の贈与が昭和三七年七月頃なされた事実を認めるに足りる証拠がなく、かつ、被告署長が本件課税処分及びこれに対する異議についての決定をなした当時同被告が考慮し得べかりし資料のみを基礎にして判断しても、同被告のなした本件課税要件の認定が合理的であつたととうていみることができず、結局、同被告の本件課税処分は、同被告のなした課税要件の誤認に基づくというべきであり、右処分は違法なものとして取消を免れない。

五、つぎに、原告の被告局長に対する訴訟の管轄について考えてみるに右訴訟は、この訴訟のみを切りはなして考えると、元来、被告局長の所在地の裁判所の管轄に属し(行政事件訴訟法第一二条)、当裁判所の管轄に属しないことは明らかである。ところで、一般に、裁決取消訴訟を提起したものは、その口頭弁論の終結時までに当該裁決にかかる原処分の取消訴訟を、さきの訴訟に追加併合して提起することができ(同法第一九条第一項)、そのときには、出訴期間の遵守については、処分の取消訴訟は、右裁決の取消訴訟を提起したときに、提起されたものとみなされる(同法第二〇条)。そうして裁決の取消請求と当該裁決にかかる処分の取消請求とは、互に、関連請求の関係にあつて、これら請求にかかる訴訟が、仮に、各別の裁判所に係属する場合において、相当と認められるときは、関連請求に係る訴訟の係属する裁判所は、申立によりまたは職権で、該訴訟を、他の取消訴訟の係属する裁判所に移送することができ(同法第一三条)、また、当初より、これら請求にかかる訴訟を併合して提起した場合には(同法第一六、一七条)、そのうちの一つの訴訟につき管轄がある限り同法第七条、民事訴訟法第二一条の準用により、右訴を提起された裁判所において右関連請求につき審理をなし得るものと解される。これらはいずれも行政事件訴訟法において関連請求を併合して、審理の重複、裁判の矛盾牴触を避け、同一処分に関する紛争を一挙に解決しようとするとともにその中でも特に裁決取消の訴訟に処分取消の訴訟を併合提起することを容易にしたことによるものである。これを本件においてみるに、原告の被告局長に対する訴訟(以下本件裁決取消訴訟という)と被告署長に対する訴訟(以下本件処分取消訴訟という)とは互に関連請求の関係にあつて、そのうち本件処分取消訴訟が当裁判所の管轄に属することは明らかである。そうして前記法条によつて、仮に本件処分取消訴訟が、さきに、当裁判所に提起されていた場合であれば、本件裁決取消訴訟をさきの訴訟に追加併合して提起でき、また、本件裁決取消訴訟がその管轄裁判所に係属し(当初から管轄裁判所に提起されたか或いは当裁判所に一旦提起されたものの、その後、移送されたにせよ)、別に、本件処分取消訴訟が当裁判所に係属した場合においても、本件裁決取消訴訟が当裁判所に移送されることもあり得るし、さらに、当初より、本件処分取消訴訟と本件裁決取消訴訟とを併合して当裁判所に提起することもできるところである。これらいずれの場合にあつても当裁判所において本件裁決取消訴訟と本件処分取消訴訟とについて併合審理がなされ得ることは明らかである。このように考えてくると、たまたま本件裁決取消訴訟のみが、さきに当裁判所に提起され、右訴訟については当裁判所に管轄がなくても、未だ、右訴訟が管轄裁判所に移送されるに至らない間に、その後に右訴訟に併合して本件処分取消訴訟が提起された場合は、本件裁決取消訴訟についても当裁判所に管轄を生じ、当裁判所においてこれら両訴訟を併合して審理することができるものと解するを相当とする。

六、そこで原告の被告局長に対する裁決取消請求について考えるに、前記のとおり請求の原因第四項の1、2の事実は当事者間に争がない。原告は被告局長が、要は、法の期待する十分の調査をなさないまま原処分を維持して原告の審査請求を棄却する旨の裁決をなしたことをもつて違法となし右裁決の取消を求めるものであるが、前記のとおり、原処分庁である被告署長がなした原処分が違法として取消される以上、その上級行政庁たる被告局長も右判決に拘束され右判決の趣旨に反する措置をとり得ないのであるから、もはや原処分の取消とは別に右裁決の取消を求める訴の利益を原告に認めることは困難であり、結局右裁決の取消を求める訴は訴の利益を欠くものとして右主張にかかる違法の有無を判断するまでもなく、失当として却下を免れない。

七、 以上の次第で、原告の被告署長に対する本訴請求は理由があるのでこれを正当として認容し、被告局長に対する請求はこれを不適法として却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村捷三 裁判官 海老塚和衛 裁判官 相瑞一雄)

目録

米子市紺屋町五六番

宅地五八坪三合七勺(一九二・九五平方米)

同所五七番

宅地三〇坪八合(一〇一・八一平方米)

(右各不動産に対する坂江りきの持分二分の一) 以上

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